ちょっと重たい話題になっちゃうのかもしれないけど、
厚生労働省の作成した「人生会議」のポスターが抗議を受けて自治体への発送をとりやめた、というニュース。



ほほう
がん患者の団体が
「死を連想させる、これを見たら暗い気持ちになる」
と抗議したそうです。

うーん。
どうだろう。
というか、わたしはこのポスターを見て、肝心の
人生の終わらせ方について家族と話し合っておこう、
それが人生会議
というメッセージ を感じることができなかったのよ~💦
抜群の推察力・トーク力を持つ小藪さんがドドーンと中央に来ているので、

あっ、小藪さんだ、 なになに?
と気になったけど、
言いたいことがモヤッとしてて
パッと見「小藪さんだ」という以上に何もわからなかったんですよ~

ポスターとしては致命的
よく読めば、
- 小藪さんが演じている男性は瀕死もしくは自分の意識を外に伝えることができなくなっている状態
- 彼は病室のベッドにいる
- 家族がまわりにいるような状況
だとわかるけど、(ポスターってよく読むもんじゃないよね、視界に入ってくるものよね)

なんで小藪さんのお父さんは隣のベッドの人に話しかけてるの?
病室でお見舞いの人が隣の人に話しかける、ってよっぽど隣の人の体調がよさそうでない限りしないもんだよね。
そして
「おやじのすべった話聞くくらいだったら嫁と子供とゆっくりしたかったわ」
っていうところからあとは

ん??
病室でも病室じゃなくても
知らない人にすべった話を聞かせる父親を見ていたくないし、

病室で隣の人に話しかける父親が恥ずかしいっていう話なの?
御臨終のときは個室に移す配慮をする病院がほとんどだと思うけど、
となりに誰かいるっていうことはまだこの人、御臨終じゃないんだね?
じゃあ植物状態なの?
・・・と、
本来の「人生会議」に思いが到達するまで時間かかっちゃいました💦
そんなわけで、
人生会議のポスターは議論する前に意味がわからなかった、
とワタシは思いました。
あ、そうだ、
文句ばっか言ったけど、わたしは「人生会議」っていう名前とてもいいと思います。
自分の人生を、どうやって最後まですごすかという、大切な問題を家族と話しておかないと、イザというときに困っちゃうからね。
ちなみにわたしは母をガンで亡くしております。
母はしっかり者だったので、自分は最期をどうすごしたいか家族に伝えていました。
ある程度の年になったら
「わたしはこういうふうにこの世とオサラバしたいなぁ~」
って話すのはとっても大事。

人は100%いつか死ぬんだもんね
一生懸命生きて人生を終える、、これは人生の卒業ですよね。
(・・・とどこかのお葬式でお坊さんが話していた)
タブーじゃないよねと思いました。