もうすぐ母の一周忌です。

早いもんだなぁ・・・
一周忌、といえば法事です。
お坊さんに来ていただきお経をお願いし、家族や親族でお食事会をするというのが王道のパターンです。
父は、一周忌までは規模は小さくても仏教式で行いたい、
それで自分の気が済むから、といっています。
施主である父がそういうので、一周忌は普通の方法で行うと思いますが
(お坊様による読経+家族と母の兄弟のみで会食)
もしわたしが死んだとしても、
もう読経はいいかな・・・と思ったり。
一周忌、とネット検索するとお墓や葬儀のポータルサイトが続々と上がってきて、
終活カウンセラーや、葬儀社・僧侶の方々の見解がずらっとならんでいます。
する・しないはご自由ですが、
年に一度二度はご先祖さまや故人に手を合わせることは必要ではないでしょうか。
というような答えが主流です。
葬儀社や終活カウンセラー、お坊様の見解ですからそうなりますよね。
葬儀のときにお世話になった会社からは、
一周忌の全手配を代行します、という法要プランのDMが届いてたし。
でもわたしは、母のことを思い出すのは年に一度や二度ではないです。
孫も、そうだと思っています。
それと、母(仏様)が安心すること・喜ぶことは
葬儀業界の人より私のほうがよく知っているつもり。

家族や親せきが元気で会食してるってことが、故人(母)が喜んでくれることよ~
そうそう、菩提寺を持たない我が家の場合、
母の葬儀の日に来てくださったお坊様は、葬儀前日に初めて顔を合わせた方でした。
丁寧に親切にやってくださいましたが、
今までおつきあいのないお坊様の法話は、看取りと葬儀準備で疲れた私には特に印象に残るものではなかったです。
(法話の中で母の名前を間違えたことだけ覚えてる。つきあいがなかったので仕方ないですよね)
法事は、それをやることで気が済む、というのが一番大事だから、
あとから「やればよかった」と後悔する → やる
あとから「やらなくてもよかった」と思う → やらない
ですよね。
お寺さんとのおつきあいがもともとあって、
そういうものだ、というふうに思っていた場合はやるのだろうし、
うちのように
もともとお寺さんとのつきあいがない家は、自己流にやるってことでいいのよね、
と思いました。
実家の場合は、
一周忌までは、読経+お墓詣り+会食にすると思うけど、
来年の三回忌からは お墓詣り+会食 にすると父が言っていました。
もしわたしが死んだら、って考えたけど
わたしの法事は
家族集合+会食
してくれたらそりゃうれしいけど、
時々思い出してくれるだけでいいし、
なんなら思い出してくれなくてもみんなが元気ならいいや。
高齢化社会で葬儀業界は現在はとても大きな市場で、
検索結果にも業者の熱いHPが上位に表示されて、従来の方式がおすすめされることが多い。
良心的な業者さんもたくさんいるのは知っているけど、
この先はどうなるのかな、
偲ぶ気持ちが、読経+会食+手土産というふうにはならなくなるかも。
・・・というのは新興住宅地の核家族な我が家だからで、
よい家柄のお宅や本家さんとかだと違うのかもね~