今日は3.11で、昨日は3.10でした。

オバさんの日記

今日は3.11。

東日本大震災が起きた日です。

あれからもう8年なんだね・・・・

 

だから今日は地震や防災の特集が組まれていますが、

昨日は3.10だったので、今日は私が聞いた範囲で3.10のことをメモしておきます。

 

3.10ってなんだ?

東京大空襲のあった日です。

ちょっと調べてみたら、「東京大空襲」というのは首都東京を狙って行われた空襲のこと全部をさすらしいです。その中でも最も規模が大きかったのが2時間で10万人が亡くなった1945年3月10日の空襲なのですね。

今は2019年。74年ほど前の出来事です。

 

わたしは50歳で、父も先日亡くなった母も70代後半。

父は戦時中の記憶が少しあるそうです。
(父は神奈川県で終戦を迎えました)

 

母は京都で終戦を迎えましたが戦後の東京にやってきてそこで育ちました。
友だちからきいた空襲の体験をわたしにも教えてくれました。

 

母から聞いた話

母は終戦のとき2歳。
戦争中の記憶はほとんどないそうです。戦後東京へ出てきました。

母が育った場所は東京の下町で、焼け野原になった地域です。
戦後に建てられた小学校に通いました。

 

校庭で穴を掘ったりして遊んでいるときよく溶けたガラスを見つけたそうです。
それが空襲のときのものだとはわからなかったと言っていました。

 

母が親しくしていた高校時代からの友人は東京大空襲を生き延びた一家だったそうです。3月10日は、大声でふざけたりしていると

「今日は何の日だと思ってるんだ!!」

とお父さんに怒鳴られた、と話してくれました。

 

父から聞いた話

父は終戦のとき4歳でした。だからちょっとだけ覚えているそうです。

父が住んでいたのは神奈川県でも都市部ではありませんでしたが、それでもグラマン※が飛来したそうです。

 

父の家の2階の窓から外を見ていたら飛行機が見えて、ぼんやりと「こっちにくるなー」と思っていたら、父の兄(わたしにとっての伯父)が

「なにやってんだ、グラマン(敵機)だぞ!!」

と言われたという話。

 

実際飛行機はかなり遠くにあったそうですが、のんきに見ていたらダメだってことだなぁと知ったそうです。

 

※グラマンは、当時アメリカ軍の戦闘機を作っていたメーカーの名前です。東京大空襲ではB29が有名ですがこちらはボーイング社が作っていた飛行機の機種名なんだそうです。

 

父方の親戚のおじさんの話

父方の親戚のおじさんから聞いた話です。

 

畑の一本道を歩いていたら突然グラマンがやってきてダダダダーーーっって撃ってきた。
操縦している人の顔が見えるような近い位置だった。

あわてて畑の側にかくれたけど、あのときの操縦士の顔は忘れられない。笑いながら撃っているように見えた

と言ってました。

 

 

近所のおばさんの話

実家の近くのおばさんから聞いた話です。

おばさんは今生きていたら90歳くらい。戦時中は10代後半で就職して働き始めた頃だったそうです。

 

ビルの何階か、応接室で仕事をしていたときに飛行機がやってきたらダダダーーって撃ち込んできて、

とっさに応接室にあった大きな灰皿の下にあったぶ厚いテーブルセンターみたいのを頭にかぶってうずくまった

静かになったので見てみると、窓のガラスが粉々にわれていて破片がテーブルセンターにたくさん突き刺さっていてゾッとした

 

と話してくれました。

おばさんは東京大空襲のときはなんとか逃げ延びたと言っていましたが、どうやって逃げたのかは聞きませんでした。

 

今の有楽町マリオンのあたりは瓦礫と亡くなった人でいっぱいで、よけて歩くのが精いっぱいだった、というのは聞きました。

 

 

第二次世界大戦はそんなに昔の話ではナイ

今年は平成が終わり新しい元号で新しい時代が始まります。

第二次世界大戦はだいぶ昔の歴史上の出来事だと思ってしまいがちですが、でもまだわずか73年前の出来事。

その当時を知る人もまだ生きています。

 

もう敗色濃厚な日本の都市に300機以上の爆撃機で大量の焼夷弾を落としていったアメリカ軍。亡くなった人は10万人を超えているとか。正確な数はわからないようです。

 

空襲日記 空襲日記 | Just another WordPress weblog

 

こちらは1970年生まれで墨田区在住の方が作った「空襲日記」というサイトですがここを拝見すると都内に未だ残る空襲の爪痕がたくさん紹介されています。

 

空襲日記 » Blog Archive 空襲日記 | 言問橋

↑言問橋に残る焼けたあと

 

 

そういえば、私の母の実家のお墓は東京の下町にあります。

戦後東京にでてきた母の実家のお墓は四角いですが、戦中からあるこのお寺にはいまにも朽ちてしまいそうな墓石もいくつか見かけることができます。

空襲で被害をうけたお墓が残っているんだそうです。

 

東京大空襲は大変おそろしい空襲だったけれど、少し調べてみると今私が住んでいる町にも空襲の記録がありました。

日本中の町が狙われていた時代からまだわずか、70年ちょっとしかたっていないのだなぁと思いました。

 

 

 

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